面接はやさしくくるんで?|大人語の恐怖

注:この記事はアフィリエイト広告を含みます

ひさびさに面接というものを受けてきた。

面接というものが苦手なので、あまり気乗りはしなかった。 が、「ものは試し」ということで受けてみることにした。 新卒のときのような面接にはならないだろう、と思いもあって。

「自己紹介してください」

面接した方の第一声。

がっつり、ザ・面接でした……。

回答に対するリアクションはなく、その後は「長所と短所を教えてくだい」、「自己PRをどうぞ」などと、マニュアルにそって、一問一答をしているという感じ。

そんな長い時間じゃなかったのに、この苦しさは筆舌に尽くしがたいものがありました……。

「今日は天気は……」とかってって、ちょっとぐらいアイスブレイク的な会話があってもいいんじゃないの??

ひさびさの面接ということもあって、すこし緊張しているのに、回答はもう……。思い出すのも嫌になるような、ピントの外れたものばかり。

面接という場に対する心理的抵抗感

世の中には面接が得意という人もいるようだけど、面接がどうしても苦手という人は多いはず。

面接なんだから、「お前は仕事をきちんとこなす能力があるか?」という疑念に対する回答を示す場ということはわかっている。でも、そんな大前提は頭の中からは消え去って、何について話しているのかわからない状態に陥っちゃう。面接を終えたあとに残るのは、自分自身は必要とされるような価値などないという虚無感と無駄な時間を過ごしたという後悔。

普段の会話でうまく噛み合わなくても、そこまで凹まないのに、面接のときは、どうしてこんなに心理的にダメージを受けるんだろう?

「大人語」というクッション

「うっ」と、見えない何かで胸を殴られたかのようなダメージを与えられる質問の代表格が、「自己PR」。

「自己PR」なんて言わずに、もっとはっきり「雇ってやったら、どんなことできんのか言ってみろ」って言ってくれたほうが、よっぽど答えやすい。「どうして、そんな言い換えするんだよ?」と叫びたくなる。

「タバコ、ここで吸うな」を「恐れ入りますが、こちらでのおタバコはご遠慮ください」みたいに言うことが、ビジネスの現場ではままある。子どもが使う類の表現ではない。ある種の公の場で、大人たちが使う言葉だ。

だが、「ご遠慮ください」であれば、まだ相手に判断を委ねている感じがする。だって、「俺は遠慮なんてしねーぞ」なんていうヤツが出てくるのが想像できるでしょ?

しかし、どういうわけだか、面接という場では、そんな感じはしない。そもそも、採用する会話のほうが主導権を握りやすいし、「自己PRしてください」なんて相手に自己PRするかしないかなんて判断を任せてなんかはいない。「自己PRしろ」と命じているだけだ。

ま、タバコの例だと、「この場での喫煙は固くお断りしています」ぐらいの言い方もできるかもしれない。 面接の場での大人語が異質に思えるのが判断を相手に任せていない点だけでない。もっと重要なことがある。

焦点化される求職者の「自己」

より重要な問題は、「職務遂行能力についてご説明ください」ではなくて、「自己PRしてください」と「自己」という言葉が大人語としてオブラートを包む言葉として選ばれていることだ。面接というコミュニケーション・シーンでは、とかく、面接を受ける者の「自己」へと焦点が向かいがちである。

当然といえば、当然である。求職者の職務能力や適性、人柄などを確認し、採用後も問題なく働いてもらえるかが採用するものは知りたいからだ。とはいえ、「お前は何者か」と言われると動揺する人が多いのではないか。採用面接の本来の目的を忘れて、冷静さを欠いてしまい、トンチンカンな回答をしてしまう。

「他の人と共同でなにかをするときに大切だと思うことはなにか?」というなど質問には、自分の考えや自分が意識し実践していることを伝えることができる。だけれども、「長所や短所」、「自己紹介」や「自己PR」なんてものには苦手意識があるという人たちのことだ。

そう、すべて「自己」なんて大人語が悪いのだ!!やさしく包み込んでいるはずが、むしろ、逆に剥き出しの刃物を突きつけられている気分になってしまうからだ。我らは「自己」大好き人間なのだ!!