甘酸っぱさのなかの隠し味を見つけて?|俵万智『サラダ記念日』

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だれもが一度は「サラダ記念日」という言葉を耳にしたことがあるだろう。

「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日

どんな句だったか知らなかった人も一度聞けば、 マイ記念日の歌を作りたくなる。 わかりやすく、親しみやすさのある作品たちが収めらている、俵万智『サラダ記念日』。

俵万智『サラダ記念日』の句を読むと、初々しい感じを思い出させる。 他愛のない、「君」の一言のうれしさを記念にしたいなんて、 若いカップルなんだろうな、なんて想像する。

もちろん、本書にはただみずみずしい作品が収められているわけではない。

ステージの上に寝そべるコードたちとろけて落ちた五線のように
「ジャズコンサート・IMA」

雑然と投げ捨てられているように、 無造作に四方八方へひろがるコードに対する視点が、 斬新で面白く感じられる。

しかし、この歌が面白く感じられるのは、 見立ての斬新さだけが理由ではない。

ゆるやかに「寝そべる」コードたちと 「とろけ」「落ちる」という言葉が、 なまめかしい印象を与える。 やさしくすべらせた指が、 重力のほうへコードたちをとろけ落ちていく。そのさまを、 愛しむような眼差しで眺めているかのようだ。 しかも、寝そべったコードたちは、 重力のほうへただ落ちていくのではない。 離れ重なり、なにやらひとつのまとまりへとなっている。 こんな感想を持つと妄想がすぎると叱られるかもしれない。 しかし、それでも妄想をとめられない。

有名な「サラダ記念日」の歌だけ読むと、 若々しく甘酸っぱいカップルをイメージしてしまうかもしれない。 だが、面白いことに、甘酸っぱい歌たちの中に少し異質の歌たちが同居している。 甘酸っぱさのなさに、異質な歌たちが立ち上がらせるイメージを見逃してはいけない。

たとえば、有名な「サラダ記念日」の歌の並びちかくのこれらの歌。

よく進む時計を正しくした朝は何の予感か我に満ちくる

職場から駆けつけて来し男印の金の糸くず

明日まで一緒にいたい心だけホームに置いて乗る終電車

ただ甘酸っぱいだけではない。

さて、これらの歌と「サラダ記念日」の歌を、どう読んでいこう?