わずかばかりでも日々書き記すということ|正岡子規『墨汁一滴』

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正岡子規といえば、「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」の人である。 近代の俳句の祖みたいなことを学校の国語の時間に習ったことをなんとなく思い出す。 結核を患い、30代半ばと若くして亡くなくなったというのも、子規という俳号とあわせて覚えさせられた。

今回取り上げる『墨汁一滴』は、正岡子規の随筆集。明治34年(1901年)に、新聞『日本』に掲載されたものをまとめたもの。 正岡子規が亡くなる1年ほど前の作品になる。

まずは、『墨汁一滴』の冒頭近くの一節を読んでみよう。

近日我貧厨をにぎはしたる諸国の名物は何々ぞ。大阪の天王寺蕪、函館の赤蕪、秋田のはたはた魚、土佐のザボン及び柑類、越後の鮭の粕漬、足柄の唐黍餅、五十鈴川の抄魚、山形ののし梅、青森の林檎羊糞、越中の干柿、伊予の柚柑、備前の沙魚、伊予の緋の蕪及び絹皮ザボン、大阪のおこし、京都の八橋煎餅、上州の干饂飩、野州の葱、三河の魚煎跡、石見の鮎の卵、大阪の奈良漬、駿州の蜜柑、仙台の鯛の粕漬、伊予の鯛の粕漬、神戸の牛のミソ漬、下総の雉、甲州の月の雫、伊勢の蛤、大阪の白味噌、大徳寺の法論味噌、薩摩の薩摩芋、北海道の林檎、熊本の飴、横須賀の水飴、北海道の鮞、其外アメリカの蜜柑とかいうは、いと珍しき者なりき。(明治34年2月9日)

子規が自身の台所にあった名産品を書き出したものである。 3,4個程度であれば、どんなものなのだろうか、と調べてみる気になる。 だが、こんなにも数多いと、流石にためらわれる。 数え上げてみると、ゆうに30品目。数え間違えをしていないければ、36品目だろうか。 少々あきれた気持ちになると同時に、なんとなしに楽しい気分にさせられる。 「にぎはしたる」という言葉が、そう感じさせるのか。

子規は自らを獺祭書屋主人とも号していた。 獺祭とは、カワウソが自身の捕えた魚を食べる様子にちなんだ言葉。 獺(カワウソ)は自身が捕えた魚を岸辺に並べる習性があるそうだ。 この習性が祖先祭祀の様子に似ていることに由来して、獺祭という。 ここから転じて、自らのかたわらに多数の書物をひろげ、詩作に没頭しているさま例えた故事があるらしい。

おそらく、子規は故事にちなんで獺祭書屋主人と号したのであろう。 しかし、30品目の名産品を並べあげ楽しんでいる様子を想像すると、故事の趣は消え果ててしまう。 むしゃむしゃと幸せそうに舌鼓うった思い出に、いまかいまかと次の名産品を待ちわびている印象を受ける。

この随筆集が書かれたのは、子規の死の前の年であったことを忘れてしまいそうである。

年頃苦しみつる局部の痛の外に左横腹の痛去年より強くなりて、今ははや筆取りて物書く能はざるほどになりしかば思ふ事腹にたまりて心さへ苦しくなりぬ。かくては生けるかひもなし。はた如何にして病の牀のつれづれを慰めてんや。思ひくし居るほどにふと考へ得たるところありて終に墨汁一滴といふものを書かましと思ひたちぬ。こは長きも二十行を限りとし短きは十行五行あるは一行二行もあるべし。(1月24日)

自身の病状がひどく悪化し、気力も絶え絶えになっているなか、半月も立たないうちに、「近日我貧厨をにぎはしたる諸国の名物は何々ぞ」と30品目以上の名産品のリストを書きあげてのけるのが、この頃の子規である。

子規は俳人であるから、もちろん俳論も日々書いている。

浮いて居る小便桶や柿の花 といふ句の如きは、作者の意は柿の花が小便桶に浮いて居るつもりなるべけれどこのいひやうにては小便桶が水にでも浮いて居るやうに見えるなり。 この例の句投書の中に甚だ多し。(6月7日)

「俳句を作る人大体の趣向を得て後言葉の遣ひ方をおろそかにする故主意の分らぬやうになるが多し」と注意を促しているものである。 続けてすぐに、「附ていふ、浮いて居るを散つて居ると直してもやはり分らぬなり。」ととぼけてみせる。

子規の明るさに救われる1冊かもしれない。