夜中に食べたくなるカップラーメン|ストレスと癒しと就寝

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粉っぽいスープ ぼそぼそっとした麺 繊維質だけの残ったフリーズドライのキャベツ。 深夜遅くになると小腹が空いてきて、食べたくなるカップラーメン。

口の中にのこった粉っぽさをビールや酎ハイで流し込み、 いつもより薄暗めの暖色系のライトの下で、 TVの映像の光の色の変化がするとともに 影が伸び縮みする。 黒につつまれた白のひかりとオレンジの色。普段意識することのない夜の濃淡のゆらぎがある。

夜中にはカップラーメンなんて食べちゃいけないとわかっているのに、妙な満足感がある。 そとに出向いたり、あるいは、出前で頼んだりした方がおいしいのはわかっている。 だが、なぜなが、ついついカップラーメンを選んでしまう。 喉を通り抜ける暖かさと粉っぽさ。 体にわるいことを自ら選んでいるという感じがいいのかもしれない。

まだ寝付けないときなんか、昔見たことのある映画なんかを見ていると自然と眠くなっている。

いつもは寝る直前にライトを消して、床に就くようにしていた。 どうしても寝付けないとき、最近は暖色系のライトを持ち出して、部屋の明かりはこのライトとTVかパソコンの画面だけという感じにしている。

勝手にひとりホテルごっこと呼んでいる。カップラーメンのかわりに、つめたい弁当なんかで楽しんでいるときもある。 やる気がしないときだとか、疲れているのになぜか冴えているときに、1〜2時間ぐらいこういう時間を取ると気持ちよく寝れてしまう。

旅行先や出張先で普段自宅にいるときよりも眠れるということがあるかもしれない。その仕組みって、ひかりと背徳感のある食事だったんだと気付かされる。こういうひとときが、なんだかんで旅の一番の楽しみだったのかもしれない。

ひとりホテルごっこなんて安上がりで羨ましいと言われてしまいそうだが、こういう小さなことがストレスの解消に役立ている気がしてならない。

もちろん、いつもカップラーメンや冷たい弁当なんかを食べていたら、そういう気分になることはないだろう。ひとりホテルごっこが成り立つためには、あたりまえとされているような小さな努力を日々している必要があろう。

悪いことをしているのに、むしろ堕ちていっているような自分を救い出す契機となる。罪悪感のなかにひととしての意思のようなものに気づくことが、このとき求められているのかもしれない。めんどくさくても、毎日一応の家事こなし生活をしているひとたちが休まるひとときだ。