断捨離なう|総論的ななにか

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 ひまになって、とくにしたいこともないから、断捨離をしている。断捨離といってみても、所詮、部屋のなかにあるものをすてるだけのことだ。日頃の怠惰な生活による成果物と向き合うときがきたというだけ。普段は時間をかけてはいられないから、先送りにしてきた。ものにあふれているからといっても、日々の生活のなかでも重要性はそう高くない。わざわざする必要もないことだから、いつだって中断してよいのだ。

緊急性という尺度で見失っているもの

 ひとまず、部屋の隅や適当なところに押し込んでいるものをひっぱりだしてみた。疲れたらまま、もとのところへまた押し込んでやればいい。

 取り出してみると、いつか勉強してみようと思っていたスペイン語の参考書や取得を目指していた資格の本がある。世間ではITなどが大切というからためしに買ってみたプログラミングの本。買っていたことさえを忘れてしまっている。特段いまの生活に必要がないから。その姿にあえて名を与えれば、あればよいと思っていたのに、実現することが叶わなかった時間の残骸というべきところか。

 積み重なったゴミの山は層をなしている。自身の興味や希望が折り重なった一部を手に取ると、雪崩をおこす。押しかけてきた重みを手で押し返す。バランスを取り戻した地層のそばで、また、ありえたかもしれない未来に思いを馳せる。

見失ったいまを取り戻すために

 いまからでも遅くはないか?自問自答してみる。遅くはないかもしれない。ひとつひとつは単体でみればこれからでも取り掛かることができる。だが、このすべてを救い出せはしない。気付くのにそう時間はかからない。寄せては返す運動に重力の作用を感じながら、重力に抗することは残骸を選び出しまた別の山を築くことなのだと知らされる。結局のところ、こうして築いた山も崩壊を免れ得ないこともまた承知している。できることといえば、重量に抗して維持できる範囲を探りコントロールしそこなうことを繰り返すことだけだ。

自身の大きさ

 反復を繰り返して、小さく小さくなった築山。いずれまた膨張して生活を圧迫するようになるのだろう。散漫になっていた意識を取り戻し、自身の境界をつくりかえる。この新陳代謝こそが自身をうみだす運動となることを祈って。排出される未完の希望は、背伸びしようと足掻いていた痕跡だと考えよう。いまこことは異なる未来を志向する狂おしい求めに休まる場所を与えるのだというやさしさも忘れずに。